ヒロコの梅干し〜食の原点〜
2023.6.9
つい先日、クライアントから梅干しの作り方についてご質問をいただいた。
レシピを出してもらうほどではないが、簡単でいいのでざっくりとした作り方を教えてほしいという。
料理を生業としていながらお恥ずかしい話しだが、私は梅干しをつけたことがない。
先方には、試作をしたわけではないので責任は持てませんが調べます。と申し伝え、毎年梅干しを浸けている母ヒロコ(福岡県朝倉市出身)に連絡をした。
ヒロコ…梅干し?今年ももう漬けたたい。梅干しは大変とよーーーーーーー。あんたが漬けると?漬けきるとーーー?お母さん毎年漬けよるけど、去年はあーだ、今年はこーだ、天気があーだ、こーだ、あーだ、こーだ、(最後は父親の愚痴)(約5分)
私…ちょ、ちょ、わかったけん、作り方を教えて。
ヒロコ…あーハイハイ、えーーっとね。梅2キロ!塩350g!赤紫蘇400g!塩80g!
(いきなり出てくる数字の記憶力に若干ビビる)倍作るときは全部倍よ!梅が4キロなら、塩は700g!わかった?ちゃんと計算せなよ!
・・・・・・・・・・。
【以下ヒロコ流梅干しの作り方】
梅干しはヘタを取ってよく洗う。
一晩水に浸けてアクを抜く
ザルに上げ、水気をしっかりと拭く
漬物を漬ける樽に入れて塩と梅干しを交互に重ねて入れていく
最後に梅がかぶさるように塩をのせる。
焼酎を30ccほど全体に振りかける。
重石をのせしっかりと密封し、冷暗所に保管する
(1週間ほどで水→梅酢が上がってくる)
赤紫蘇を葉だけちぎり、水でよく洗い、水気を拭き取り日陰で干す。
塩を揉み込み、最初に出た灰汁は捨てる。
漬け込んだ梅から上がってきた梅酢を紫蘇にかけ、さらにしっかりとよく揉む。
赤い汁が出てきたら梅の中に紫蘇を入れ、最初の半分の重さの重石を乗せ密封し、そのまま梅雨が明けるまで待つ
晴天が続くようになったら
重ならないように大きなザル並べ天日で干す
夕方には一旦浸けている樽に戻し、そのまま一晩置き、翌日再び干す。
上下を返しながらまんべんなく天日に干す
これを三日間繰り返す。
全体が赤くなったら完成。
密封容器で保管する。
日が暮れそうな作業である。というより本当に日が暮れるのだ。何日も、何日も。
それにしても、この“梅雨が明けるまで待つ”というあまりに抽象的な表現はクライアントにも伝え難く、
私…あのさ、梅雨が明けるまでっていうのは大体どれくらいの期間?
ヒロコ…(自分が話すのはいいが質問は面倒くさがる派)はあ?梅雨が明けたらは梅雨が明けたらたい!期間やら、そんなのわからん!梅雨が明けな、晴れが続かんやろ。三日間干さないかんけん、雨が降ったらいかん。
テレビば見よったらアナウンサーが梅雨が明けましたって言うけん。それを聞いたらよ!新聞とテレビば毎日見よきなさい!」
久々のヒロコ節に笑ってしまったが、
普段から、レシピのテキスト作りに頭を抱えている私はある意味非常に新鮮な会話であった。
以前、辻脇がこのブログに綴っていたが、ナッツカンパニーはクライアントワークとしておよそ毎月平均20点、多いときは30点以上のレシピを考案している。
いずれも、キッチンに立って30分でできるような時短、簡単レシピであり、なるべくならその一品でお腹が満たされるような主食、主菜であることが好ましい。
内容も冷蔵庫で1日置く、下茹でして吹きこぼす、じっくり油で揚げる、というようなレシピはどうにかしてもっと簡単な方法がないか代替案を考える。
この梅干しのように副菜にもならない箸休めのために天日で3日間干す、などは言語道断、消費者からもクライアントからもNGを食らうであろう。
クライアントワークを主とするナッツのレシピ開発のテーマは、今から40年ほど前に流行ったキン肉マンの牛丼の歌、「早いのうまいの、安いの〜♪」
ということを忘れるわけにはいかない。
牛丼一筋300年のキン肉マンを知らない方はこちらをどうぞ。
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ヒロコの梅干し作りは私の仕事と対極にあり、とても参考にすることは出来ないが、
日本の四季、熊本という風土に根ざした自然の恵み、人間の営みや繋がりを考えたとき、
守っていかなくてはならない食文化、とはこういうことかもしれないとふと思う。
庭に梅がなったから梅干しを作ろう。
今日は晴れだから、梅を干そう。
明日から雨だから今日仕込むのはやめておこう。
日の当たり具合や梅の様子を見ながら、全て肌感覚で何日もかけて作業をすすめる。
母は毎年、去年のはちょっと塩が効きすぎた、今年のは物凄く綺麗な赤の梅干しになった、と自分の漬けた梅の出来不出来を熱く語るが、この途方もない作業をやり終えて出来上がった梅干しならば確かに語りたくもなるだろう、と改めて思った。
散々喋り倒した電話の最後、思い出したように
「まあそれはそうと、時に、あんた、元気しとーとね?」
と素っ頓狂なことを言ってきたヒロコ78歳。
認めたくはないが、この強烈な母の料理こそ、私の食の原点である。
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